月別アーカイブ: 2022年2月

木鶏クラブハウス:はやぶさ2を支えた500本のネジ

人間学を学ぶ月刊誌「致知」2021年4月号 致知随想より

 

「人」が活きる ものづくり

  キットセイコー社長:田邊弘栄

今回の木鶏クラブハウス(2022/2/24)では 2020年12月6日地球に帰還した、小惑星リュウグウの砂を採取した探査機「はやぶさ2」の機体に搭載されている 100種類 500本のネジを設計・製造した会社のお話を紹介しました。

 

田邊社長

“打ち上げから6年 50億キロに及ぶミッションは99%成功すると信じてはいたものの、最後の最後まで不安は拭えませんでした。それだけにカプセル内に砂が多く入っていた、生命誕生の起源に迫れると続報を聴く度、よい事業に関われたなという実感が強くなり、今後の研究に夢を膨らませています。

当社は1940年埼玉県羽生市で祖父が創業した田辺製作所を前進としています。

その頃は時代の要請もあり家電類に加え無線や軍用機の精密ねじを製造しながら腕のいい職人さんを多く育てていました。

宇宙事業に初めて携わったのは50年前です。

日本初の人工衛星「おおすみ」の開発に当たり宇宙開発事業団(現JAXA)から当社と取引のあった日本電気(NEC)を通じて話がありました。

なぜ一介の町工場に白羽の矢が立ったか。

それは祖父が定めた経営方針が大きいでしょう。

その当時技術力を見込まれ ソニーや日立、松下電器といった名門から「うちの量産工場になってほしい」と打診されていました。

ところが祖父はそれを辞します。

手間がかかる少量注文でも製作を根気よく支えてくれる「面倒見のよい会社」と多く仕事をした方が生き残れるとの判断でした。

結果、徐々に量産から少量多品種へと体制を移し前例がなく特殊な「宇宙ネジ」の受注に至ったのです。

そして当社の職人と先方の担当者が連携し試行錯誤した結果チタン合金製「六角穴付きボルト」などの原型となる宇宙事業用ねじの規格が完成。

以来 二十数人の従業員で約80基の人工衛星に納品してきました。

そんな中、大学卒業後アルバイトで家業に入った私は愕然としました。

職人の大半は50代後半で、定年が間近に迫っていたのです。

後を継ぐ若い職人は皆無でした。このままでは3年もすれば職人がいなくなる。技術が消えればうちはきっと潰れてしまう。

ネジ製造はまさに職人仕事で先輩の勘を定式化するだけでひと苦労でしたが、

平社員ながら若い人の採用にも率先して取り組みました。

「自分にはもう時間がない」この頃の私はその一念で働いていたように思います。

職人として1人前になるには会社で多くの経験を積んでもらう必要があり、普通は10年20年とかかります。

そこでできる限り無駄なくベテランの技量を若手に継承する為に考え出したのが「マイスター制度」でした。

定年を迎えた職人が退職すれば、その人の数十年分の蓄積が失われます。また嘱託に待遇を落とせば本人のやる気はもちろん、教わる若手に尊敬の念が生まれません。

それがどうしても嫌だった私は、主に当社で定年した職人をすべて本人の希望通りの時間で働く「マイスター」(名人)として迎えたのです。

定年後も安心して働ける会社にし、現役の職人に長くいてもらう目的もありました。

若手がぶつかる問題は大抵先輩が昔経験しており、それを共有しない手はありません。

あえてマイスターが出社しない日を設け、若手の自立を促した結果、活発に教えを請いまた教えてあげるという長期的な継承の形が出来ました。

これを踏まえ、当社は他者のような機械化はあえてせず、工程の約3分の2を職人の手が通るようにいています。このため微妙な加工が要る、他者の嫌がる仕事を受注でき、職人技、人が活きてくるのです。

加工が難しい原子力プラントや鉄道路線、F1カーの特殊ネジを製造できる所以です。

「はやぶさ2」を平均30代の社員一丸で成功できたのは嬉しい事でした。

宇宙事業では以前と同じ衛星をつくることはなく、常にチャレンジが求められます。職人仕事にはまだ暗いイメージがありますが、自社の取り組みを通じ、人が活き活きする、明るいものものつくりを実現したい。それが私の願いです。”

 


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人生の「マイスター制度」・・

今回の致知随想から「はやぶさ2」の偉業はこのような職人技の特殊なネジのおかげでなされていた。ということを知り、感動した。

そして熟練した職人さんの技を如何にして次の世代に伝承して行くかの 「マイスター制度」がとても いい取り組みだと思った。

と同時に、これは社会全体にシニア層にいる方に対する人生の達人という尊敬の念を持つこと、そしてシニアの方も若い人に英知を伝える気概を持って生きて行くことの大切さにも繋がるのではないかと思った。

まさに 「人生のマイスター制度」・・・

 

 


❤今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

 

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おじいちゃん バージンロードを歩く(!?)

いつもの様に おじいちゃんと夫と3人で「今日も皆でご飯が食べれてよかったね」と夕食会が始まった。

 

そこに携帯電話が娘のAからの着信を告げた。

スピーカーホーンにすると自然にそこは4人の食卓の様になった。

娘の声が聞こえると おじいちゃんは自然に笑顔になって行く。

娘「おじいちゃんにお願いがあるんだけど・・」

父「なんだね?」

娘「結婚式の時にバージンロードを歩く時 お父さんとおじいちゃんに一緒に歩いて欲しいんだけど いいですか?」

父「オーオー いいよ」
二つ返事で答えるおじいちゃん。

夫も私もびっくりして聞いている。

2ヶ月後に結婚式を控えているAは、とてもおじいちゃんとおばあちゃんを大切に思ってくれていて、これまでも時々二人を温泉に連れて行ってくれたりしていた。

Aの事になると 顔が緩むおじいちゃんだが さすがにバージンロードを一緒に歩くというと少し前なら絶対に

「気持ちはあるが 無理だー」と言っていたような気がする。

確実に元気になってきているおじいちゃん。

父「よし あと2ヶ月あるな・・毎日 頑張って散歩に行くからな」

私も今までたくさんの結婚式に出席させてもらったが、父親と祖父に挟まれてバージンロードを歩く花嫁さんは観たことがない。

Aもいろんな事を考えてくれていたんだなと思うとありがたい気持ちになった。

そしてその提案に何の抵抗もなく答えるおじいちゃんに 孫パワーのすごさを感じた。

家族は皆繋がっているんだなとあらためて思った。

おじいちゃんはこれから毎日 離れと母屋を繋いでいる夫の作った松の廊下(!?)を杖をコツコツさせながら歩いてくるとき、赤いバージンロードを孫のAと腕を組んで
歩いているイメージで来るのかな?

思わず そのおじいちゃんが倒れないようにその横に私が腕を組んでいる姿を想像し まるで4人3脚のゲームみたいとひとりで吹き出してしまった。

 

 

 

 

 

おじいちゃんの目が真剣になった

今日の夕ご飯の時

夫「お父さん 今日は散歩に行った?」
父「イヤー 今日はとても寒かったから 行かなかったよ」

私「お父さん私朝行ってきました」
父「えりさんは どこに行ったんじゃ?」

私「私 毎朝 歩いてます。今朝は寒くて霜が降りてたけど、今日やめると明日行きたくなくなるから」

父「えっ? 仕事に行く前にか? それは 知らなかった」
父「毎日か?」

私「はい もう かれこれ6年くらいかな」

父「ホー それは感心なことだね だからえりさんは健康なんだね」

それまで人ごとの様に聞いていたおじいちゃんだが次の私の一言で黙ってしまった。

私「だって私が健康じゃなかったら おじいちゃんが困ると思って・・」

父「・・・・」

その時私はおじいちゃんの目が真剣になったのを見逃さなかった

父「そうか・・ じゃわしも頑張らないとな」

きっと明日から おじいちゃんは毎日の散歩をガンバルと決めたのではないかと思った。

父「ごちそうさま。今日はこれで帰るよ」

夫が作ってくれた 母屋と離れの間の松の廊下(!?)をコツコツと杖の音をたてて帰って行くおじいちゃんを
いつもの様に見送ろうと外に出ると

父「ここでいいよ。ありがとう」としっかりした口調で言う。

自分が健康でいる事は自分の為だけでなく人の為にもなるんだと言うことを初めて知ったかのような

キリッとした表情のおじいちゃんに 

もしおばあちゃんがいたら おじいちゃんとこんな会話はしてなかっただろうなと思うと

なんだか不思議な気がしてきた。

 

 

 

 

 

007シリーズ/Dr.No を観た

何でも観れる魔法の棒が我が家に来てから

週末の夕食は時々[映画鑑賞会]になっている

 

夫「おじいちゃん今日は何か観る?」と聞いている。

西部劇が大好きな父はきっと 「それじゃあ西部劇」と言うだろう。
あまり西部劇が好きではない私は少し焦って思わず
「007なんでどうですか?」

と矛先を変えてみる。

 

父「007か ショーンコネリーのならいいな。」

「最初の映画で「Dr.No」というのがあったぞ・・」

 

私「しめしめ」これで西部劇は観なくてすむ・・

 

映画が始まると、かなり昔の映画なのに画面がとても綺麗で驚く。

私「どうしてこんなに綺麗なんですかね?」

父「デジタル加工かな?」

私「えっ?おじいちゃん そんな言葉知ってたんですか?」

父「とっさに頭にひらめいたんだ」

とまんざらでもない様子。

そういえば顔つきが最近締まってきたような気がする

おばあちゃんがいなくなってから
それまですべて命令して 自分の体の一部のように何でもしてもらっていたのが
自分でやらざるを得なくなって主体的に動くようになる事で今まで使っていなかった脳が動き出したかの様だ。

複数の薬の管理も最初は「わしゃーこんなの出来ん!」と言っていたのに
夫がすべての薬を「朝」「昼」「夕」と付箋を貼った透明なジップロックの袋に入れてくれたので、
今では「これは朝だな」「これは昼だな」と言いながら取り出し、次の日に飲む薬を 
リサイクル封筒に入れて 日付を書くいう作業が見守りで出来る様になってきた。

最近では その次の日に飲む薬の仕分けの作業を「さあ、お仕事 お仕事」と言って自分から動こうとしている。

おばあちゃんがいなくなった事で おじいちゃんは確実に自分で考え、動く事が増えてきた。
そのせいか 言動がしっかりしてきたし なんとなく顔つきが若返ってきたような気がする。

夫もその変化に気がついているようだ。

まさに「Dr.脳」だなと 私は一人ではまっていた。

何でも見れる魔法の棒のお話はこちらから見れます。→

 

あの子は風に吹かれる係だから、あれでいいんだよ

人間学を学ぶ月刊誌「致知」(2020年10月号 致知随想より)

人間は自然の一部 

池上知恵子(ココ・ファーム・ワイナリー専務)

 

“栃木県足利市の山の麓にあるココ・ファーム・ワイナリーの葡萄畑は海抜200m 平均斜度38°の急斜面に広がります。
そこには9200本の葡萄の木が植えられています。その1本1本 1房1房を手作業でお世話するのは障がい者支援施設「こころみ学園]の園生たちです。

18歳から89歳まで 150名様々な知的障がいを抱えた園生が葡萄栽培や椎茸の原木栽培、ワインの仕込みや瓶詰め・ラベル貼り・などに携わっています。

1950年私の父,]川田昇は知的障がいのある子ども達が何もさせてもらえない事に心を痛めていました。

そこで勤務する市内の中学校に特殊学級を開設し生徒と一緒にウサギを飼ったり、野菜や果物を栽培していました。

彼らに「毎日やってもやり尽くせないような仕事」はないだろかと考えた末 2年がかりで急斜面の山を開墾。皆で600本の葡萄の苗木を植えました。

1969年その麓に[ころみ学園]を設立。知的障がいのある園生30名を受け入れ、農作業を通じて心身を育む「試み」を始めたのです。

あれはワイナリーがスタートし隣町に借りた葡萄畑からも本格的な収穫が見込まれる頃の事でした。一人の園生が学園に隣接する葡萄畑で何もしないで立っています。
私は思わず父にこぼしました。
「せめて石を拾ったり草をむしったりしてくれればいいのに」。すると父は言いました。
「あの子は風に吹かれる係だから、あれでいいんだよ。」

その時は意味が分からず、彼は何もしてくれないと思っていました。

その年の秋、隣町の葡萄畑がカラスに荒らされ収穫直前の葡萄が全滅してしまいました。ところが不思議な事に、学園すぐそばの葡萄畑は無事でした。

風に吹かれる係の彼がいつも葡萄畑にいて、時々急に走り出したり、奇声を発したりしていたことで図らずも葡萄を守っていてくれたのです。

父がどこまで意図していたかは分かりません。
ただ 今になって振り返ると父は採算や生産性よりもワインづくりに関わる園生たち、すべての命に思いを注いでいたのだと思います。

その後も彼らの草刈り作業がなくなってしまうからと除草剤は一切撒かず自然のままにしたことで園生も土壌微生物もいきいきと働く葡萄畑になりました。

助け助けられて暮らしていく事は地球に生きる生物、人間の基本なのかもしれません。

コロナ禍が広がるいま、10年前に亡くなった父の遺した言葉が心に浮かんできます。
「消えてなくなるものに、渾身の力を注げ」・・・

人間は自然のごく一部です。
いま生きてある生物の命はやがて消えてなくなります。
しかしだからこそ私たちにできるのは、葡萄畑に生きる動植物や微生物、園生たちのように互いを補い合い、今日を精いっぱい生きることではないでしょうか?”

 


 

❤私のこころの「いいね!」ボタンが押されたところ

 ・「あの子は風に吹かれる係だから、あれでいいんだよ」

何という心の余裕のあるお父さんの言葉なんでしょう。しかも風に吹かれる係という言葉の何と優しく愛のある響きを感じる事でしょう。私の心はこのフレーズに完全に惹きつけられました。

 


❤今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

 

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「しつもん夕食会」やってみました

 

「しつもん読書会」に参加して夕食の時に「しつもん」してみるのはどうかと考えた私

私「お父さん 何か今日面白い事ありました?」
父「特に 無いなー」
私「パチパチパチ  事故も無くてよかったですねー」

私「Sさん(夫)は何か面白い事あった?」

夫「それがね 患者さんで面白い名前の人がいてね・・」
私「へーどんな名前?」
夫「太 と書いてふとると読むんだよ」
父・私「へーそれは珍しいね」「それでその人ってちなみに 太っているの?」
夫「以前はすごく太っていたみたいだけど 今は痩せているよ」

私「いろいろな名前があるもんですね」
父「そういえば 今やってる オリンピックに出てくる若い子達もしゃれた名前の子が多いぞ」
私「へーそうなんですね。例えばどんな名前?」
父「んーとなんて言ったかな?」

しつもん夕食会は何気ない会話に花を添えてくれる気がした。

ここで私が気づいたことがあった

夫との会話はこれまで目の前の緊急性のある話題の連続だったような気がする。

子供のこと・親のこと・日常の解決しないと行けない事。。。

なので緊急ではないけど重要な事を後回しにして来たような気がする。

本当の意味での心の交流ということ 分かっているようで全然わかっていなかった事に気づいた。
夫の考えていること・今日職場で起こったこと・楽しかったこと・悲しかったこと・苦しかったこと・聞く余裕がなかった
というより聞く事の重要性を感じていなかった自分だったような気がする。

でも今日しつもん夕食会をしてみて
聞けば夫もたくさん話したいことがあるのではないかと思った。

何にも聞いてこなかった私。自分の話ばかりしていた私に気がついた。

おじいちゃんの為にしつもん夕食会をしようと思ったのに夫との心の交流に思いを馳せることになるなんて

おじいちゃんのおかげだ・・

今日も気づかせてもらって ありがとうございました

「しつもん夕食会」をしようと思ったきっかけはこちらから見れます

 

 

 

 

 

しつもん夕食会はいかがですか?

 

 

「読まなくていい しつもん読書会」というZOOMセミナーに参加した。

「読まなくていい」 というフレーズにひかれて 

いつかは読もうと思っていた本を持参して参加したのだが

とても不思議な事に読んでないのに本を読んだ気になってくる。

しかも講座が終了してから無性に読みたくなって一気に読んでしまった。

あのセミナーに参加していなかったらまだ「つん読」状態になっていたかと思うととても有意義なセミナーだった。

主催者の方は参加者に8つのしつもんをしていきながら 楽しくも自分の気持ちをうまく引き出してくれた。

とても自然な感じで自分が言いたかったことの深いところまで導かれている感じがした

そして最後に参加者がお互いに聴きたいことをしつもんするコーナーになった。

私は「これから何をしていきたいですか?」相手の方は「継続するコツは何ですか?」など・・しつもんしたことは実は自分が聞いてもらいたい内容なんだと気づく。

そしてお互いにアウトプットしながらシェアするという流れだった。

初めて会うメンバーなのにとても気持ちの交流ができた気がした。

しつもんされて「うーんと・・」と考えながら次に進むと 脳が動いてくる気がする。

それから「しつもん読書会」に興味が沸いてきて調べていくうちに人はしつもんに対する答えを考えようとするときに時に脳が動く事を知った。

これは何かに使えそうな気配がした。何に使えるかなと考えながら歩いていたときふとひらめいた。

そうだ毎日の夕ご飯の時におじいちゃんと夫と私の3人でしつもん夕食会をしたらどうだろう・・と

いつもは何げない会話でご飯を食べているが おじいちゃんはやっぱり 体調の事や 問題があった事などの内容が多い気がする

せっかくの貴重なひとときなのだから 笑って過ごせたらいいな・・と思っていたが

そのしつもん読書会のルールが参考になりそうだ

それはしつもんに対する答えに対して 

①お互いに否定しないこと・・何を言っても「素晴らしい!」と拍手をし最後に両手で親指をたてて「グッ!」と言い合うのだ

②答えが出なくてもOK 「素晴らしい!」パチパチ 「グッ!」

これをやっていく内にだんだん盛り上がってくる。

 

私の毎日のしつもんは何にしようかな?

そうだ 「今日なにか面白い事ありましたか?」これにしよう!

 

さっそく今夜の夕食の時に提案してみようっと

そこで私は自分自身にしつもんしてみた

「あなたは どのような目的でそのしつもん夕食会をしてみたいのですか?」 

私「えーっと・・おじいちゃんの笑顔が見たいから。そしてそれを見ている私たちが幸せになるから」

どんな時間になるのかワクワクしてきた

 

 

 

 

 

 

 

おじいちゃんの びっくり現象!

 

 

 

 

 

 

我が家のおじいちゃんは 何かにつけ大げさに(!?)びっくりする癖がある。

少し耳が遠くなってきたので もともと声は大きくなっていたが
ちょっとしたことにもすごく驚いたように「おおっ?」という

少し手を滑らせて飲もうとした薬が床に落ちれば「おおっ!!」

お味噌汁が少し熱いと「おおっ!熱いな」

そんなおじいちゃんのびっくり現象にも 少しづつ慣れてきた私だが

先日散歩から帰ってきて
「えりさん 帰ったよ!」

というので玄関に迎えに行った時の事だった・・・

最大級の大声で「おおっ?」

というので何かと思い

「お父さん どうしたの?」と聞くと

どうやら玄関の大きな姿見に私の姿が映って入るのを見て

どうしてそこにいるのかとびっくりして大声を出したらしい・

「えりさんがどうしてそこにいるのかわからなくてびっくりした」

見るとその鏡の中で私が仁王立ちに立っているではないか・・

おじいちゃんの後ろにいて 私の姿は見えてないだろうと思っていた私は

無防備な顔で腰に手をあて 自分が見ても怖そうな感じがした

父「本当にびっくりしたわ!」というので

私「本当ですね これは怖いわ。でもそのお父さんの声にびっくりしました!」

というと二人で大笑いになった。

大きな声を出すのもリハビリか・・

と思うとそれもまたよしと思った。

これからは後ろにいるときも笑顔でいようっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おじいちゃんが洗濯機デビューした

 

 

 

 

 

それは雨上がりの晴れた日の午後のことだった 

父(義父)が離れから主人の作った渡り廊下をコツコツと杖の音を響かせながら母屋にやってきた。
父「えりさん、洗濯機の使い方を教えてくれんかのう」

私「えっ お父さんやるんですか?」

父「うん わしの下着くらい 自分で洗ってみるわ」

私「やっと暖かくなったから そろそろ良いかもしれませんね」

離れの洗濯機は家の外のベランダに置いてあるから 以前からその気持ちはあったものの暖かくなってからと思っていたらしい。

自分から何かやることを求めて来るというのは かなり前向きな事なので
嬉しくなった私はいそいそとおじいちゃんと離れに行った

私「まず蓋を開けて・・・・」
父「蓋はどうやって開けるんかのう」

本当に何も知らないんだ
私「次に洗濯物を入れて・・」

父「これでいいのか?」と恐る恐る入れている父がなんだかかわいく見えてくる
ばかに丁寧に入れている
父「広げて入れた方がいいんだろ?」

いつもガバッと入れてしまう私なので「そうか」と逆に教えられた気分だ。

私「はい ここに洗剤をいれて」
父「洗剤ならここにあるぞ」と父が取り出したのは 何と漂白剤のボトルだった。

私「はい 次は蓋を閉じたら ここのボタンを押して」

電源のボタンには入・切と表示されている。
一つのボタンをぽんと押すだけなのに 今は入だなと一生懸命 切の文字に触れないようにしているのでなかなかスイッチが入らない

私「お父さん 今は電源を入れるときだからこのボタンをぽんと押せば自然に電源が入るから 切の文字は気にしないで大丈夫です」

父「そうか・・」
私「そしたら次はスタートボタンを押してね。

父「あっ 水が出てきた 水道の蛇口はかまわなくていいのか?」

私「ここに30分と出てるから 30分したら終わるからねー」
父「ありがと ありがと」

87歳にして初めての洗濯機デビュー・・自分でやってみようとするその気持ちには頭が下がるが 今まで全部おばあちゃんがやってくれていたんだという事をあらためて知った。

夕食の時その後の洗濯劇の結末を聴いてみた。
私「おじいちゃん 洗濯物は大丈夫でした?」

父「途中で心配になって見に行ったらまだ15分しか経ってなかったから、また見に行ったよ」
私「ちゃんと干せれた?」

父「干したけど 何か黒い点々がいっぱいついていた」

そうかおばあちゃんがいなくなってから離れの洗濯機は使っていなかったので 洗濯槽にカビが生えてしまったんだな

「洗った後 蓋を開けておくと良いかもしれないですね」
「そうか・・」

それで夫を待っている間に洗濯の順番のイメージトレーニングをしようと思い立ち「お父さん今日の洗濯機の使い方を思い出してみましょうか?」
と提案する。
「えーとまずは蓋を開けるんだったな・」

言葉を詰まらせながら、私の誘導で思い出そうとしている。

「もう一度 一緒に見てもらわないと 自信がないなー」
「はいはい何度でも 行きますよ」

ここで私は実感した。日常生活の中で今までやったことがないことに挑戦する事が一番脳トレになるんだと言うことを

しかも自分からその気になったおじいちゃんはやっぱりすごいと思ったので
「お父さん すごいですね! お父さんが洗濯してくれたら私助かります」と素直に褒めると
思わずおじいちゃんが言った

「OK牧場!」

父との夕食時の会話が楽しみになってきた

 

 

世界の山ちゃんを引き継いだのは「てばさ記」奥様だった

 

 

 

 

 

木鶏クラブハウス(2022/2/10)は致知(2022年2月号)より

「第一線で活躍する女性」で登場されたエスワイフード代表の山本久美さん

「主人が遺したものを引き継ぎ伝承する」 の記事を紹介しました。

 

山本さんはコショウ辛い手羽先で有名な名古屋発「世界の山ちゃん」(全国に60店舗 展開)を創業されたご主人が2016年に突然59歳の若さで亡くなった後 会社を継がれたそうです。

亡くなった時は3人の子供さん(一番下が小学校1年生)を抱えた専業主婦だった山本さんが如何にして代表になったか。そのマインドと素敵なストーリーに私の目は釘付けになりました。

インタビューの内容をご紹介します。

企業理念は「立派な変人たれ」

山本:

この「立派な変人たれ」という理念は主人がよく口にしていた言葉で「立派な人間になる」「明るく元気にちょっと変」ということ。

「立派な人間になる」とは人として立派になろうと努力すること自体が大事だとよく言っていました。

「明るく元気にちょっと変」には「ユニークで面白い」だけでなく「変化をする」という意味も含まれます。

主人も真面目で変な人でした。店舗が非常に忙しい多忙で社員同士がギスギスしていた時に行われた会議では7色のアフロの被り物をして大真面目に出席したと聞いています。

会社を継ぐ覚悟が決まった時

山本:

結婚してから専業主婦で3人子育てをしていましたが、2016年8月21日に突然 主人が大動脈解離で亡くなりました。

後継者の事で悩んでいる私の思いが定まったのは「てばさ記」という店舗通信がきっかけでした。

私は仕事にはほとんど関わっていませんでしたが結婚後に主人から、料理を待つお客様の気が紛れるように、店舗に貼り出す瓦版通信を作ってほしいと依頼されて、以後毎月1回「てばさ記」を休まず発行し続けていたんです。

葬儀などでバタバタしている間に次号の「てばさ記」の締め切りが近づいてきた時、心配して社員から「今回はお休みしませんか?」と言われて「私への配慮なら入りません」と返事をしました。その瞬間、主人への思いだけでなく、会社やお客様に対する熱い思いが自分の中にもあることに気付かされたのです。それで代表に就任する決意が固まりました。

トップダウンからボトムアップの組織へ

山本:

主人は人をとても大切にする優しい人でした。

汚い所の掃除など非田尾が嫌がる仕事を率先してやっていましたし、給料明細書も毎月必ず東京と名古屋に分かれている150名以上の全社員に手渡ししていました。この2つは私にも出来る事なので、代表になって以降実践しています。

一般企業に初めてしかもトップとして入った私は分からないことだらけだったので、分からないことは分からないと素直にさらけ出し、幹部だけでなく、一般社員の皆にも本当によく助けてもらいました。

社員達もそれまでのトップダウンの体制ではなく一人ひとりが「自分たちがやらねば」という自覚をもって行動してくれるようになりました。

会社や「山ちゃん」ブランドに対する愛情を持った社員が非常に多くて、社員一人ひとりの中に「主人が生きている」と感じる節がよくありました。

スポーツも経営も「努力に勝る天才なし」

山本:

私は小中高と様々なスポーツをしてきてすべての部活で主将を任せていただいた経験が仕事にものすごく活きています。

主人ともよく、チームスポーツと経営は似ているという話をしていました。

スポーツで言えば監督、レギュラー選手、控え選手、会社にとっては社長、幹部、社員と皆がそれぞれの役割を果たさなければいい結果は生まれません。

私は中学生時代、後に桜花学園高校バスケットボール部を67回の日本一に導いた名将・井上眞一先生の下でバスケをしていました。小学校の教員になりミニバスチームを立ち上げて監督をしていた時に、井上先生が私のチームの練習に来られたことがあり、子供達にこう声を掛けてくださいました。

「全員が自分の役割と皆の役割を理解して、100%その役割を果たし切ったら絶対に全国優勝が出来る」

 この言葉を聞いた子供達は目の色が変わって、試合に出られない子も「自分にはチームとしての大切な役割があるんだ」

と自覚し一つひとつのプレー、ボール拾いなどを一所懸命に取り組むようになりました。こうした教えのおかげで、監督をしていた5年間に3度の全国優勝に導いてあげることが出来ました。

家庭との両立について

やっぱり大変ですが、会社も子供たちも主人が遺してくれたものをきちんと立派に育てたいという気持ちは変わりません。私がかけてあげられる愛情は食事くらいしかないので、食のことだけは手を抜いてはいけないと思い、毎朝、3食分を作ってから出勤しています。

 

❤山本久美さんの座右の銘 : 努力に勝る天才なし

❤山本代表の記事は こちらから→ も見れます

 

❤この記事の中で私のこころが「いいね!!」ボタンを押した所

 ○お店の瓦版通信の名前が「てばさ記」すごくセンスがいいと思いました。

 ○企業理念「立派な変人たれ」 変人の意味が明るく元気にちょっと変というユーモ アと「変化をする」の変の意味もあるなんて奥が深いと思いましたし楽しい感じがしました。

 ○東京と名古屋にいる社員150人に毎月給料明細を手渡ししていたご主人もすごいけどそれを継いで実践している奥様もすごく偉いし、なかなか出来る事ではないと思いました。

 ○「全員が自分の役割と皆の役割を理解して、100%その役割を果たし切ったら絶対 に全国優勝が出来る」と言って実際にチームを全国優勝に導びかれた井上眞一先生のお話

 

今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

 

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