月別アーカイブ: 2022年3月

86歳の懺悔(ざんげ)

わしはおばあさんに謝りたい

いつもの様に3人で夕食を食べている時だった。

突然おじいちゃんががこう言い出したのだ。

自分が入院している間におばあちゃんがいなくなったいきさつを初めて詳しく聞いてきた。
おばあちゃんの事はそれまで体調が思わしくないから妹夫婦のところで養生しているという説明をしていた。

だから落ち着いたらすぐに帰って来ると思って居たらしい。

でも最近部屋の中をよく見てみると どうもおばあちゃんの物が無くなっている事に気がついたとのこと。

さすがに何かおかしいと気づき、そうやって考え出すと悪い事ばかりが頭の中をぐるぐるし始めるようになったんだと・・

そんな中 自分で「出て行け」と言った言葉を思い出した様子だった。

父「出てけって行った事を 謝りたい・・ わしは一人では生きていけない」

私「・・お父さん 出てけって言ったの 覚えていたんですか?・・」

父「ああ たしかに言ったな。わしもお酒を飲んでいたか。なにかイライラしていたのかな・・」

 おじいちゃんはよっぽどおばあちゃんのいない生活が寂しくて仕方がないのだろう・

父が自分から謝るなんて事を口に出すことなんて想像もしていなかった。

それまで押さえていたおじいちゃんに対する感情が止められなくなって私は思わず言っていた

私「私だったら、もし旦那さんに「出て行け」と言われたら すぐ出て行きます」

それから おばあちゃんの話になった。初めて本当の事を知りたいと真剣な表情になっているおじいちゃん

自分も父親から暴言をはかれた事があった事など 昔の事など話し出す。

私「その時 お父さんは どう思ったんですか?」

父「一生 恨んでやると思った」

私「そうでしょう・・」と思わず私は言っていた

それがおばあちゃんの気持ちなんだよ!ともっと強く言いたい自分をやっと抑えた。

でも謝るのは 誰のため?。 自分が寂しいから? 謝れば全て解決しておばあちゃんが帰ってきてくれると思っているおじいちゃん。

実はこの話は今度の日曜日におばあちゃんが荷物の整理をしたいからと娘のAと実家に帰って来る事になったことから端を発した事だった。

それは一時帰国のように 用事を済ませたら二人はすぐ帰るという予定だった。

父「その時に 謝りたいから 少し時間を取るようにしてくれないか?」

私「それじゃあ、何かおばあちゃんの好きな物でも作って一緒にお昼ご飯でも食べるようにしましょうか?」

父「えりさん そうしてくれるか・・」

私「ところで お父さん おばあちゃんは何が好きなんですかね?。」

父「???」

おじいちゃんは何も知らない。おばあちゃんの好物。(おばあちゃんはタマネギの天ぷらやグラタンが大好きな事。
おじいちゃんがネギ類が嫌いなので何十年も食べられないで居た事。)

そして謝ったらおばあさんが帰って来ると思って居るおじいちゃんはもうプロ野球を二人で見たいと言っている。
父「おばあさんは ドラゴンズファンでなあ・・勝つとわーわー言っていたぞ」

でも私は知っている。

おばあちゃんはテレビがあまり好きではないこと。

難聴のおじいちゃんが爆音でテレビをつけている中で西部劇や野球を一緒に見ていたこと。

それをおじいちゃんはおばあちゃんもてっきり好きだと思っていたこと。

一緒におじいちゃんの話を聞いていた夫は一言

夫「おじいさん 自分でそれに気がついて 偉かったね」
 「おばあさんに 言ってみて 本人がどう思っているか聴いて見たら?」

父「そうするわ・・」

父が離れに帰った後、夫と二人で話した事・・
離ればなれになっているから、父からこんな言葉が出てきたこと。
「これが第一歩だね。」

夫婦が一番お互いの事をわかっていないのかもしれない。
安心して好きな事を言っているのかもしれない。
私も明日もし死んでしまうとしたら、 悔いのない人生だったと言えるのか?
おじいちゃんは私達に(というより 私に)大切な事を教えてくれているような気がしてきた。

おばあちゃんが出て行ったいきさつはこちらから見れます。→

 

 

 

 

 

木鶏クラブハウス(2022/3/17):「朝チア」で日本の朝を元気にしている女性の話

 

人間学を学ぶ月刊誌「致知」2022年3月号 インタビュー「第一線で活躍する女性」より

 

応援の力で日本中に元気と幸せの連鎖をつくる!

両親の応援が人生の原点に

ー朝妻さんは、早朝の駅前でチアリーディングを行い、通勤途中の人達に元気を与える「朝チア」の活動や、「応援学」の普及に取り組んでいるそうですね。

朝妻

今はフリーアナウンサーとしての活動、もう一つは2018年に立ち上げた全日本応援協会の代表として「朝チア」をやりながら応援学、応援文化を広げていく活動です。応援学とは人を励まし応援することで得られる様々な効果を脳科学や心理学などを通して科学的に紐解き、体系化したものです。人間は誰かを応援することで、脳から幸せを感じるオキシトシンというホルモンが出て、相手の方だけでなく自分自身も明るく前向き、元気になれるんですよ。

朝チアについては今は9人のメンバーで主に新宿や新橋の駅前で行っています。

応援学の普及に至るまでの歩み

私は1983年北海道の名寄市で生まれました。

ただ幼稚園の頃 父の転勤に伴い新しい園に引っ越してからいじめに遭いました。それを我慢して先生に言えないもどかしさ、寂しさや孤独を味わった事で以後、小学校や中学校では仲間外れにされている子がいたら放っておけない性格になりました。これが人に寄り添いたい、応援したいという原点になったような気がします。もう一つ大きかったのは両親の存在です。一生懸命私を応援してくれました。

それから東京の大学に進学して、チアリーディングの人達の姿、表情がとても輝いていて、ものすごく勇気と元気をもらい、自分もやりたいと思いました。

充実した日々から人生の逆転へ

朝妻

就活でアナウンサーの会社に70社受けましたが、全て落ちました。

「何をやっても無理だ」と塞ぎ込むようになったんです。

心が変われば人生も変わる

その人生の逆境をどのように乗り越えていかれたのですか?

朝妻

ある日、マイナス発言ばかりしている私を心配した友人から「いったい何がやりたいの?」って聞かれたいんですね。その時に浮かんだのが、青春を賭けて打ち込んだチアリーディングだったんです。前向きに頑張っていた頃の自分に戻りたいという思いもあったのでしょう、友人に「もう一度チアをやりたい」と伝えたら「チアといえば、新宿駅で出勤途中の人を一人で勝手に応援して、いまネットニュースで話題になっているチアリーダーがいるよ」と

友人のひと言がきっかけとなり、新宿駅まで見に行くことになったんですけど、その人(齊藤彩さん)が一人で踊り始めたんです。その姿を見てもう全身に鳥肌が立ちました。もう「これだ-」と思って朝チアのメンバーに加えていただきました。

当時はたった二人で毎朝踊っていましたから、まさに修行でした。でも毎朝出来るかどうか心配する私に、齊藤さんは「久美ちゃん。出来ない理由じゃなくて、出来る方法を考えるんだよ。」って教えてくれたんです。

そこから何事もポジティブに考えられるようになって、「ああ、今日も朝チアができた」というように自分を取り戻していきました。

ある日50代くらいの女性の方が「あなたたちの姿を見て、(リストラされた)私にも何か出来るかもしれないわ」と言って去っていかれて、その数日後、朝チアの近くで靴磨きをやられていました。

自分にも誰かの背中が押せたとすごく嬉しかったですし、この体験から誰かの力になりたい、通り過ぎる100人のうちのたった一人でも朝チアで1日頑張る力を持っていただけたらいいなって、心のベクトルが変わるとなぜか落ち続けたアナウンサーの採用にも受かるようになり、さらに朝チアを始めて4年が経った頃に、チアリーディングを扱う番組のキャスターのオファーが来たんです。

応援の力で幸せの連鎖を

朝妻

多くの方が「応援」と聞くと「される側」になりたいって思いますよね。でも実は応援している側の方がオキシトシンというホルモンがでて元気になれるんですよ。

日々のちょっとした挨拶でも明るく笑顔で行う事で相手を元気にし、それが自分にも返ってくることで前向き、幸せに生きていけるようになる。そして相手が目の前で笑顔になったり、頑張っている姿を見たりする事で自分自身が励まされ、元気になれるんです。

そんな「応援の連鎖」を通じて「幸せの連鎖」をつくり、日本中を明るく元気にしていきたい。そしてゆくゆくは応援学を子供達の学校教育に取り入れて行きたいです。

 


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応援する人がオキシトシンのホルモンがでて元気になれるという事。

今回YouTubeで松岡修造さんがこの朝チアを取材した動画を見ました。それで実際に「朝チア」で通勤途中の人への応援している姿を見ました。こんなに人を応援したこともないし、されたこともないと思いました。まだ自分にも出来る事があることを知りました。

Youtubeはこちらから見れます→

 

❤clubhouse:のお知らせ

  木鶏クラブハウス:毎週木曜日夜8時~

  人間学を学ぶ月刊誌「致知」から心に残った記事を紹介させていただいています。

 ・お気軽に遊びに来ていただけると嬉しいです。

 

❤今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

 

今回ご紹介した記事は 人間学を学ぶ月刊誌「致知」からお届けしました。

致知に興味のあるに方は

見本誌(バックナンバー)を致知出版社からプレゼントしていただけます。

 

https://www.chichi.co.jp/specials/mihon-sample/

紹介者情報: 待井恵理子(会員番号「20185305」

     メールアドレス supereriko999@gmail.com

 

 

 

 

木鶏クラブハウス:津波に負けなかった伝統のレシピ(ヤマ二醤油)

致知(2022年3月号) 致知随想より   新沼茂幸(ヤマニ醤油4代目)

「一寸千貫」(いっすん せんがん)

11年前の3月11日 岩手県陸前高田市で先祖代々続くヤマニ醤油の4代目として31年目を迎えた新沼氏は東日本大震災に襲われました。

間一髪津波から逃げれたものの 振り返ると見慣れた町の姿はもうなく、頑丈と思っていた醤油蔵が呆気なく押し流されていくのが見えたそうです。

新沼氏:

危険を顧みず一人会社跡に向かったのは。醤油屋を続ける気があるのか、己の本心を問うためです。ブロックで建てた事務所がかろうじて形をとどめており、余震が続く中慎重に室内に入り込みました。

無残な光景でしたが、ケースで保管していた先祖伝来の醤油のレシピが濡れずに残っていたのです。ああ、よかった!自分の魂の声が聞こえた瞬間でした。

創業以来、ヤマニ醤油は商品を問屋などには一切卸さず「御用聞き」を貫いてきました。ところが1980年赤字が1千万円と倒産寸前、コンサルタントからは「御用聞きはやめましょう」と進言されるありさまでした。

そんな折り、相田みつおさんのひとつの言葉に出会いました。

「一寸千貫」 一寸角(3㎝)の細い柱でも、真っすぐならば千貫(4トン)の重みにも耐えられる。元々は大工さんの言葉で、つまり生きる姿勢が真っ直ぐならば、どんな重みにも耐えられると、思えば、家業を継ごうと決めた理由は自分を育ててくれた家族と地域の味を一守りたいという使命感でした。だから何があっても実直にこの初心を貫こう。そう決めたのです。

そして、社員8名、年商1億2千万円の会社にする事ができました。

そこに襲ったのが東日本大震災です。押し流される町を見て、どれほど頑強でも形あるものは滅びる。一番強いのは目に見えないものだと気づいたのです。

その後新沼社長は「第二創業」に向けて始動したそうです。

新沼氏:

家族や地域の味を守るという初心を忘れず、企業文化として「御用聞き」を前例のない企業体に残せたことが奇跡の復活に繋がったと思います。

事業の形は変わっても「一寸千貫」生きる姿勢さえぶれなければ乗り越えていける。

これからも変わらずヤマニらしさを追求し、後生に遺していく覚悟です。

 


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 先祖代々続く 醤油のレシピが 東北大震災の中で残っていた奇跡に「ヤマニ醤油」を創業されたご先祖様の後生に繋いでいって欲しいという遺志を感じました。

そしてそれを心で感じ 自分の出来る最善を尽くして「ヤマニ醤油」の味を受け継いでいこうとする4代目社長の心意気。相田みつおさんの「一寸千貫」の一言に心を支えられて真っ直ぐに「御用聞き」に徹して味を守ろうとした社長の気持ちに胸を打たれました。

明日が11年前に東日本大震災のあった日という事もあり、この記事を取り上げさせていただきました。


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  人間学を学ぶ月刊誌「致知」から心に残った記事を紹介させていただいています。

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チーム「お嫁ちゃん」

いつもの様におじいちゃんと夫と私の3人の夕ご飯が始まった。

 

私「お父さん今日も無事でしたか?」

父「オー今日は雨だったから、散歩には行かなかったよ。K子ちゃんが来てくれたぞ」

お嫁さんのK子ちゃんからはラインが来ていた・・

K子「今日はちょっと遅くなったけど おじいちゃんの所に顔を出しました。一緒に歌の番組を見ました。今日の報告です。」

私「お父さんそれはよかったですね。」

 「うちのお嫁さん達を私はチームお嫁ちゃんと呼んでいるんですよ。」

父「ホーそうかい」

私には4男1女の5人の子供がいる。

そして長男・次男・三男にはM子さん・K子ちゃん・Yちゃんというお嫁さんがいる。

うちの子供達の事はよくわかっているので、よくぞお嫁に来てくれたと本当に感謝している。

それぞれの家庭ではいろいろなドラマが繰り広げられていることと思うが

いつも私は心の中で応援団長の様にフレーフレーと旗を振っている。

市内に住むK子ちゃんやYちゃんは私が仕事で家にいない時に、おじいちゃんのところに顔を出してくれている。そして報告をくれるのだ。

先日 3男家族が夕食の時にきて賑やかに夕ご飯を食べた後のことだった。

お嫁ちゃんのYちゃんは、おばあちゃんがいなくなったいきさつや その後の様子など分かっているので

「おかあさん 大丈夫ですか?」と気を遣ってくれる。

私「それがね・・私にブログを書く事を勧めてくれた人がいてね。おじいちゃんとのことを書いているうちに なんだか面白くなって
毎日今日は何か面白い事はないかなと探すようになってね・・」

Y「へー お母さんブログ書いてるんですか。私見たいです。」

私「えーYちゃん読んでくれるの? 嬉しいなー」

次の日さっそくラインメールがきた。

Y「お母さんのブログさっそく全部読みました。特に「密室の怪事件』が想像すると笑えてきました。またの更新楽しみにしています。」

おっ 読者が一人増えたぞ!

今やお嫁ちゃん達はそれぞれの形で私をサポートしてくれる貴重な存在になっている。

応援団長を心で決めて旗を振っていた私だが
後ろを振り向けば いつの間にか皆が旗を振って私を応援してくれているのを感じる。

「チーム:お嫁ちゃん」が私を支えてくれている。一人じゃないって事がこんなにも心強いものなのだという事に気づく。

心から感謝しています。

このブログもYちゃんは見てくれるかな?・・・