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世界の山ちゃんを引き継いだのは「てばさ記」奥様だった

 

 

 

 

 

木鶏クラブハウス(2022/2/10)は致知(2022年2月号)より

「第一線で活躍する女性」で登場されたエスワイフード代表の山本久美さん

「主人が遺したものを引き継ぎ伝承する」 の記事を紹介しました。

 

山本さんはコショウ辛い手羽先で有名な名古屋発「世界の山ちゃん」(全国に60店舗 展開)を創業されたご主人が2016年に突然59歳の若さで亡くなった後 会社を継がれたそうです。

亡くなった時は3人の子供さん(一番下が小学校1年生)を抱えた専業主婦だった山本さんが如何にして代表になったか。そのマインドと素敵なストーリーに私の目は釘付けになりました。

インタビューの内容をご紹介します。

企業理念は「立派な変人たれ」

山本:

この「立派な変人たれ」という理念は主人がよく口にしていた言葉で「立派な人間になる」「明るく元気にちょっと変」ということ。

「立派な人間になる」とは人として立派になろうと努力すること自体が大事だとよく言っていました。

「明るく元気にちょっと変」には「ユニークで面白い」だけでなく「変化をする」という意味も含まれます。

主人も真面目で変な人でした。店舗が非常に忙しい多忙で社員同士がギスギスしていた時に行われた会議では7色のアフロの被り物をして大真面目に出席したと聞いています。

会社を継ぐ覚悟が決まった時

山本:

結婚してから専業主婦で3人子育てをしていましたが、2016年8月21日に突然 主人が大動脈解離で亡くなりました。

後継者の事で悩んでいる私の思いが定まったのは「てばさ記」という店舗通信がきっかけでした。

私は仕事にはほとんど関わっていませんでしたが結婚後に主人から、料理を待つお客様の気が紛れるように、店舗に貼り出す瓦版通信を作ってほしいと依頼されて、以後毎月1回「てばさ記」を休まず発行し続けていたんです。

葬儀などでバタバタしている間に次号の「てばさ記」の締め切りが近づいてきた時、心配して社員から「今回はお休みしませんか?」と言われて「私への配慮なら入りません」と返事をしました。その瞬間、主人への思いだけでなく、会社やお客様に対する熱い思いが自分の中にもあることに気付かされたのです。それで代表に就任する決意が固まりました。

トップダウンからボトムアップの組織へ

山本:

主人は人をとても大切にする優しい人でした。

汚い所の掃除など非田尾が嫌がる仕事を率先してやっていましたし、給料明細書も毎月必ず東京と名古屋に分かれている150名以上の全社員に手渡ししていました。この2つは私にも出来る事なので、代表になって以降実践しています。

一般企業に初めてしかもトップとして入った私は分からないことだらけだったので、分からないことは分からないと素直にさらけ出し、幹部だけでなく、一般社員の皆にも本当によく助けてもらいました。

社員達もそれまでのトップダウンの体制ではなく一人ひとりが「自分たちがやらねば」という自覚をもって行動してくれるようになりました。

会社や「山ちゃん」ブランドに対する愛情を持った社員が非常に多くて、社員一人ひとりの中に「主人が生きている」と感じる節がよくありました。

スポーツも経営も「努力に勝る天才なし」

山本:

私は小中高と様々なスポーツをしてきてすべての部活で主将を任せていただいた経験が仕事にものすごく活きています。

主人ともよく、チームスポーツと経営は似ているという話をしていました。

スポーツで言えば監督、レギュラー選手、控え選手、会社にとっては社長、幹部、社員と皆がそれぞれの役割を果たさなければいい結果は生まれません。

私は中学生時代、後に桜花学園高校バスケットボール部を67回の日本一に導いた名将・井上眞一先生の下でバスケをしていました。小学校の教員になりミニバスチームを立ち上げて監督をしていた時に、井上先生が私のチームの練習に来られたことがあり、子供達にこう声を掛けてくださいました。

「全員が自分の役割と皆の役割を理解して、100%その役割を果たし切ったら絶対に全国優勝が出来る」

 この言葉を聞いた子供達は目の色が変わって、試合に出られない子も「自分にはチームとしての大切な役割があるんだ」

と自覚し一つひとつのプレー、ボール拾いなどを一所懸命に取り組むようになりました。こうした教えのおかげで、監督をしていた5年間に3度の全国優勝に導いてあげることが出来ました。

家庭との両立について

やっぱり大変ですが、会社も子供たちも主人が遺してくれたものをきちんと立派に育てたいという気持ちは変わりません。私がかけてあげられる愛情は食事くらいしかないので、食のことだけは手を抜いてはいけないと思い、毎朝、3食分を作ってから出勤しています。

 

❤山本久美さんの座右の銘 : 努力に勝る天才なし

❤山本代表の記事は こちらから→ も見れます

 

❤この記事の中で私のこころが「いいね!!」ボタンを押した所

 ○お店の瓦版通信の名前が「てばさ記」すごくセンスがいいと思いました。

 ○企業理念「立派な変人たれ」 変人の意味が明るく元気にちょっと変というユーモ アと「変化をする」の変の意味もあるなんて奥が深いと思いましたし楽しい感じがしました。

 ○東京と名古屋にいる社員150人に毎月給料明細を手渡ししていたご主人もすごいけどそれを継いで実践している奥様もすごく偉いし、なかなか出来る事ではないと思いました。

 ○「全員が自分の役割と皆の役割を理解して、100%その役割を果たし切ったら絶対 に全国優勝が出来る」と言って実際にチームを全国優勝に導びかれた井上眞一先生のお話

 

今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

 

今回ご紹介した記事は 人間学を学ぶ月刊誌「致知」からお届けしました。

致知に興味のあるに方は

見本誌(バックナンバー)を致知出版社からプレゼントしていただけます。

https://www.chichi.co.jp/specials/mihon-sample/

紹介者情報: 待井恵理子(会員番号「20185305」

     メールアドレス supereriko999@gmail.com

 

 

♡clubhouseのご案内

 木鶏クラブハウス:毎週木曜日夜8時~ 

 

致知に掲載されている記事をご紹介し 

皆さんで感じたことなどシェアしています。

興味のある方は是非遊びに来て下さい。

お待ちしています。

 

 

木鶏クラブハウス

人間学を学ぶ月刊誌「致知」を購読する事13年 私が唯一年間購読している雑誌です。

 

 

 

人生という大海原を乗り越えて行く時 その一つ一つのドラマの中で時として心に灯が欲しくなる時があります。
そんな自分に灯りをくれる珠玉の言葉の宝庫が 「致知」です。

 

 

でもあまり読書が好きではない私は恥ずかしながらこんなに素晴らしい雑誌が毎月送られてくるのになんと「つん読」事の多かった事でしょう。

 

 

そんな中 昨年友人から声をかけていただいてクラブハウスという発信ツールを知り

致知の愛読者による読書会の「木鶏クラブ」と「クラブハウス」が頭の中で掛け合わされて 「木鶏クラブハウス」の発信を思いつきました。

 

そして2021年11月18日木曜日夜8時からスタートしました。

この「木鶏(もっけい)」という言葉は中国の古典「荘子」にある故事から由来しているそうで、ある人が立派な闘鶏を育て 
ものに動じないその様子が木の鶏の様であったということからつけられたそうです。

 

 

このクラブハウスの私の目的は2つあります

 

 

1.まだ「致知」を知らない方達にこの素晴らしい雑誌の存在を知ってもらいたいという事。

 

2.自分自身が毎週ルームをオープンする事によって「つん読」から卒業する事。

 

 

そして嬉しい事にお伝えした方の中から見本誌が見たいという方や見本誌を見て年間購読したいという方が現れています。

 

これからも毎週木曜日夜8時~30分間 Roomをオープンしていますので立ち寄っていただけると嬉しいです。
また取り上げた記事はブログにて配信して行きたいと思っていますのでそちらも楽しみにしていていただけるとさらに嬉しいです

 

 

 

 

フランクル「夜と霧」が教えてくれた人間の光と闇 「木鶏クラブハウス」より

 

 

対談:五木寛之(作家)
永田勝太郎(国際全人医療研究所代表理事)

 

昨日(2022/1/20)の木鶏クラブハウスでは 
第二次世界大戦時、ナチスの強制収容所から
奇跡の生還を果たしたフランクル先生について語り合われた
お二人の対談をご紹介させていただきました。

極限の収容所体験を綴った名著「夜と霧」は
今なお世界中の人に読まれ続けています。

同書に大きな衝撃を受け、著書や講演を通して幾度となく言及してきた五木寛之氏と
フランクルに師事しその教えを自身の医療活動に活かしてきた永田勝太郎氏が
困難な人生を生き抜く上で大事なヒントについて語り合われた対談です。

永田氏は現在73歳 51歳の時に医大勤務中に薬の副作用で寝たきりになられました。
絶望の中フランクル先生の妻エリーさんに手紙を出されます。
「僕はもうじき先生(フランクル)のもとに行きます。さようなら」

すぐにエリーさんから返事が来ました。
「私は医者ではないから、あなたに何もしてあげることができない。
でも生前、夫が私にいつも言っていた言葉を贈りましょう。

『人間誰しも心の中にアウシュビッツ(苦悩)を持っている。
もしあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。
あなたを待っている誰かや何かがある限り、
あなたは生き延びることが出来るし自己表現出来る」

そして永田先生がその手紙を何度も読み返しているうちに
奇跡が起きました。

病室に次々に弟子にしてほしいという医師や学生が見舞いに来てくれ
「俺の人生まだまだ捨てたものじゃないな ならば生きていこう」と
思えるようになり、それからリハビリに打ち込み快復されたという事です。
永田先生は薬の副作用で病状が悪化したことから
医学教育の刷新を決意し統合医療の道を開かれたそうです。

永田氏は語ります。

フランクル先生は収容所の中で
「夜と霧」のもとになる原稿をずっと書き続けます。
最初に書いた草稿は全部取り上げられて
燃やされてしまいましたから
看守に見つからないように
小さな鉛筆をポケットに忍ばせて
紙くずに速記で書いては
毎晩月明かりにかざして考察を繰り返した。

 

続きはこちら→

 

 

 

体の健康

 

筋トレのススメ

 

人生100年時代 シニアライフの健康を願うのは 全ての人の思いではないでしょうか?
神様からいただいたこの精巧なボディーをどうやったら維持して行けるのだろう?

 

長年リハビリの仕事をしていて思うのは 筋肉は何もしなければすぐに衰えてしまうということ。
骨折してギプスで固定されると関節が硬くなるのはもちろんのこと 動かさなかった筋肉がこんなに落ちてしまうのかと思うほど
動かさないことに体が順応していきます。

 

毎日の生活の中で自然に動いて使っているだけでも違いますが、使っていない筋肉は確実に加齢と共に衰えていきます。
私は患者様から94歳になっても筋肉はトレーニングすればついてくるものだという事を教えてもらいました。
90歳のインストラクターの女性の方にも驚かされました。
筋肉はトレーニングでいくつになっても維持・増強出来るという事を人生の先輩達が教えてくれています。

 

自重トレーニングなど簡単にできる事はたくさんありますが、問題は如何に継続していくかだと思います。
このコーナーでは継続していくヒントなど発信して行きたいと思います。