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007シリーズ/Dr.No を観た

何でも観れる魔法の棒が我が家に来てから

週末の夕食は時々[映画鑑賞会]になっている

 

夫「おじいちゃん今日は何か観る?」と聞いている。

西部劇が大好きな父はきっと 「それじゃあ西部劇」と言うだろう。
あまり西部劇が好きではない私は少し焦って思わず
「007なんでどうですか?」

と矛先を変えてみる。

 

父「007か ショーンコネリーのならいいな。」

「最初の映画で「Dr.No」というのがあったぞ・・」

 

私「しめしめ」これで西部劇は観なくてすむ・・

 

映画が始まると、かなり昔の映画なのに画面がとても綺麗で驚く。

私「どうしてこんなに綺麗なんですかね?」

父「デジタル加工かな?」

私「えっ?おじいちゃん そんな言葉知ってたんですか?」

父「とっさに頭にひらめいたんだ」

とまんざらでもない様子。

そういえば顔つきが最近締まってきたような気がする

おばあちゃんがいなくなってから
それまですべて命令して 自分の体の一部のように何でもしてもらっていたのが
自分でやらざるを得なくなって主体的に動くようになる事で今まで使っていなかった脳が動き出したかの様だ。

複数の薬の管理も最初は「わしゃーこんなの出来ん!」と言っていたのに
夫がすべての薬を「朝」「昼」「夕」と付箋を貼った透明なジップロックの袋に入れてくれたので、
今では「これは朝だな」「これは昼だな」と言いながら取り出し、次の日に飲む薬を 
リサイクル封筒に入れて 日付を書くいう作業が見守りで出来る様になってきた。

最近では その次の日に飲む薬の仕分けの作業を「さあ、お仕事 お仕事」と言って自分から動こうとしている。

おばあちゃんがいなくなった事で おじいちゃんは確実に自分で考え、動く事が増えてきた。
そのせいか 言動がしっかりしてきたし なんとなく顔つきが若返ってきたような気がする。

夫もその変化に気がついているようだ。

まさに「Dr.脳」だなと 私は一人ではまっていた。

何でも見れる魔法の棒のお話はこちらから見れます。→

 

「しつもん夕食会」やってみました

 

「しつもん読書会」に参加して夕食の時に「しつもん」してみるのはどうかと考えた私

私「お父さん 何か今日面白い事ありました?」
父「特に 無いなー」
私「パチパチパチ  事故も無くてよかったですねー」

私「Sさん(夫)は何か面白い事あった?」

夫「それがね 患者さんで面白い名前の人がいてね・・」
私「へーどんな名前?」
夫「太 と書いてふとると読むんだよ」
父・私「へーそれは珍しいね」「それでその人ってちなみに 太っているの?」
夫「以前はすごく太っていたみたいだけど 今は痩せているよ」

私「いろいろな名前があるもんですね」
父「そういえば 今やってる オリンピックに出てくる若い子達もしゃれた名前の子が多いぞ」
私「へーそうなんですね。例えばどんな名前?」
父「んーとなんて言ったかな?」

しつもん夕食会は何気ない会話に花を添えてくれる気がした。

ここで私が気づいたことがあった

夫との会話はこれまで目の前の緊急性のある話題の連続だったような気がする。

子供のこと・親のこと・日常の解決しないと行けない事。。。

なので緊急ではないけど重要な事を後回しにして来たような気がする。

本当の意味での心の交流ということ 分かっているようで全然わかっていなかった事に気づいた。
夫の考えていること・今日職場で起こったこと・楽しかったこと・悲しかったこと・苦しかったこと・聞く余裕がなかった
というより聞く事の重要性を感じていなかった自分だったような気がする。

でも今日しつもん夕食会をしてみて
聞けば夫もたくさん話したいことがあるのではないかと思った。

何にも聞いてこなかった私。自分の話ばかりしていた私に気がついた。

おじいちゃんの為にしつもん夕食会をしようと思ったのに夫との心の交流に思いを馳せることになるなんて

おじいちゃんのおかげだ・・

今日も気づかせてもらって ありがとうございました

「しつもん夕食会」をしようと思ったきっかけはこちらから見れます