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フランクル「夜と霧」が教えてくれた人間の光と闇 「木鶏クラブハウス」より

 

 

対談:五木寛之(作家)
永田勝太郎(国際全人医療研究所代表理事)

 

昨日(2022/1/20)の木鶏クラブハウスでは 
第二次世界大戦時、ナチスの強制収容所から
奇跡の生還を果たしたフランクル先生について語り合われた
お二人の対談をご紹介させていただきました。

極限の収容所体験を綴った名著「夜と霧」は
今なお世界中の人に読まれ続けています。

同書に大きな衝撃を受け、著書や講演を通して幾度となく言及してきた五木寛之氏と
フランクルに師事しその教えを自身の医療活動に活かしてきた永田勝太郎氏が
困難な人生を生き抜く上で大事なヒントについて語り合われた対談です。

永田氏は現在73歳 51歳の時に医大勤務中に薬の副作用で寝たきりになられました。
絶望の中フランクル先生の妻エリーさんに手紙を出されます。
「僕はもうじき先生(フランクル)のもとに行きます。さようなら」

すぐにエリーさんから返事が来ました。
「私は医者ではないから、あなたに何もしてあげることができない。
でも生前、夫が私にいつも言っていた言葉を贈りましょう。

『人間誰しも心の中にアウシュビッツ(苦悩)を持っている。
もしあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。
あなたを待っている誰かや何かがある限り、
あなたは生き延びることが出来るし自己表現出来る」

そして永田先生がその手紙を何度も読み返しているうちに
奇跡が起きました。

病室に次々に弟子にしてほしいという医師や学生が見舞いに来てくれ
「俺の人生まだまだ捨てたものじゃないな ならば生きていこう」と
思えるようになり、それからリハビリに打ち込み快復されたという事です。
永田先生は薬の副作用で病状が悪化したことから
医学教育の刷新を決意し統合医療の道を開かれたそうです。

永田氏は語ります。

フランクル先生は収容所の中で
「夜と霧」のもとになる原稿をずっと書き続けます。
最初に書いた草稿は全部取り上げられて
燃やされてしまいましたから
看守に見つからないように
小さな鉛筆をポケットに忍ばせて
紙くずに速記で書いては
毎晩月明かりにかざして考察を繰り返した。

 

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心の健康

 

 

心トレのススメ

 

心も体と同じようにトレーニング ストレッチ 休息が大事だと思います。
トレーニングはどうするのだろう?

 

毎日の些細なことにも感動する感受性を磨く事

 

 

「強制収容所から奇跡の生還を果たした「夜と霧」の著者フランクル先生は
強制労働中に水たまりに映った冬の枯れ枝を見て レンブラントの絵みたいだなと思ったそうです
ましていわんや 大寒の空に凜として光を放つ満月や冬の今まさに朝日が昇ろうとしている深いオレンジ色の東の空を眺めたら何と思うのでしょう?
このフランクル先生の感受性の深さを知ったとき今まで当たり前の様に見えていた風景が神々しく感じられてきました。
フランクル先生はそういう些細な事に感動する人が生き延びたと書いています。

 

そのフランクル先生の生き方に触れ共感を覚えた五木寛之氏が語っています。
人生というものは悲しみや辛いこと 不条理や納得のいかない事に満ちていると思います。
その中で思いがけなく夜空に輝く星や地に咲く花の美しさ、そして思いがけない人の優しさに触れる瞬間を持てるというのは
本当に幸せなこと。そこで得たささやかな幸せを胸に愛を持って人に接する事ができたらいいですね。

 

 

 

毎日一つ面白いことを見つけ笑い合うこと

 

フランクル先生の話の続きです。
先生は収容所の中で仲間に「一日に一つ何か面白い話を考えてお互いに笑い合おうじゃないか」と提案して実践していたそうです。
冗談などとても考えられないような悲惨な状況下で魂を振り絞るようにして滑稽な話を考え続けたといいます。
このエピソードに大変感動した五木寛之氏は講演でよくこの話を紹介しているそうです。
五木氏「ギリギリの局面でもユーモアを忘れないような心のゆとりがとても大切だということです。フランクル先生がそういう精神の持ち主だったことも奇跡の生還を
果たす上で大事な役割を果たしたのではないかと思いますね」

 

私がこのお話を聞いたときもう一つ大切な点があると思いました。
それは 「仲間」「笑い合う」という 自分以外の人の存在です。
人は一人では生きていけません。それは物質的にも そうして精神的にも・・
笑い合う仲間がいるから面白い話を見つけようとする。・・

 

だから家族・友達・公園で会う人・職場の同僚・・ 自分にとってかけがえのない人達 
大切にしたいと思っています。