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木鶏クラブハウス:はやぶさ2を支えた500本のネジ

人間学を学ぶ月刊誌「致知」2021年4月号 致知随想より

 

「人」が活きる ものづくり

  キットセイコー社長:田邊弘栄

今回の木鶏クラブハウス(2022/2/24)では 2020年12月6日地球に帰還した、小惑星リュウグウの砂を採取した探査機「はやぶさ2」の機体に搭載されている 100種類 500本のネジを設計・製造した会社のお話を紹介しました。

 

田邊社長

“打ち上げから6年 50億キロに及ぶミッションは99%成功すると信じてはいたものの、最後の最後まで不安は拭えませんでした。それだけにカプセル内に砂が多く入っていた、生命誕生の起源に迫れると続報を聴く度、よい事業に関われたなという実感が強くなり、今後の研究に夢を膨らませています。

当社は1940年埼玉県羽生市で祖父が創業した田辺製作所を前進としています。

その頃は時代の要請もあり家電類に加え無線や軍用機の精密ねじを製造しながら腕のいい職人さんを多く育てていました。

宇宙事業に初めて携わったのは50年前です。

日本初の人工衛星「おおすみ」の開発に当たり宇宙開発事業団(現JAXA)から当社と取引のあった日本電気(NEC)を通じて話がありました。

なぜ一介の町工場に白羽の矢が立ったか。

それは祖父が定めた経営方針が大きいでしょう。

その当時技術力を見込まれ ソニーや日立、松下電器といった名門から「うちの量産工場になってほしい」と打診されていました。

ところが祖父はそれを辞します。

手間がかかる少量注文でも製作を根気よく支えてくれる「面倒見のよい会社」と多く仕事をした方が生き残れるとの判断でした。

結果、徐々に量産から少量多品種へと体制を移し前例がなく特殊な「宇宙ネジ」の受注に至ったのです。

そして当社の職人と先方の担当者が連携し試行錯誤した結果チタン合金製「六角穴付きボルト」などの原型となる宇宙事業用ねじの規格が完成。

以来 二十数人の従業員で約80基の人工衛星に納品してきました。

そんな中、大学卒業後アルバイトで家業に入った私は愕然としました。

職人の大半は50代後半で、定年が間近に迫っていたのです。

後を継ぐ若い職人は皆無でした。このままでは3年もすれば職人がいなくなる。技術が消えればうちはきっと潰れてしまう。

ネジ製造はまさに職人仕事で先輩の勘を定式化するだけでひと苦労でしたが、

平社員ながら若い人の採用にも率先して取り組みました。

「自分にはもう時間がない」この頃の私はその一念で働いていたように思います。

職人として1人前になるには会社で多くの経験を積んでもらう必要があり、普通は10年20年とかかります。

そこでできる限り無駄なくベテランの技量を若手に継承する為に考え出したのが「マイスター制度」でした。

定年を迎えた職人が退職すれば、その人の数十年分の蓄積が失われます。また嘱託に待遇を落とせば本人のやる気はもちろん、教わる若手に尊敬の念が生まれません。

それがどうしても嫌だった私は、主に当社で定年した職人をすべて本人の希望通りの時間で働く「マイスター」(名人)として迎えたのです。

定年後も安心して働ける会社にし、現役の職人に長くいてもらう目的もありました。

若手がぶつかる問題は大抵先輩が昔経験しており、それを共有しない手はありません。

あえてマイスターが出社しない日を設け、若手の自立を促した結果、活発に教えを請いまた教えてあげるという長期的な継承の形が出来ました。

これを踏まえ、当社は他者のような機械化はあえてせず、工程の約3分の2を職人の手が通るようにいています。このため微妙な加工が要る、他者の嫌がる仕事を受注でき、職人技、人が活きてくるのです。

加工が難しい原子力プラントや鉄道路線、F1カーの特殊ネジを製造できる所以です。

「はやぶさ2」を平均30代の社員一丸で成功できたのは嬉しい事でした。

宇宙事業では以前と同じ衛星をつくることはなく、常にチャレンジが求められます。職人仕事にはまだ暗いイメージがありますが、自社の取り組みを通じ、人が活き活きする、明るいものものつくりを実現したい。それが私の願いです。”

 


❤私の心の「いいね!」ボタンが押されたところ

人生の「マイスター制度」・・

今回の致知随想から「はやぶさ2」の偉業はこのような職人技の特殊なネジのおかげでなされていた。ということを知り、感動した。

そして熟練した職人さんの技を如何にして次の世代に伝承して行くかの 「マイスター制度」がとても いい取り組みだと思った。

と同時に、これは社会全体にシニア層にいる方に対する人生の達人という尊敬の念を持つこと、そしてシニアの方も若い人に英知を伝える気概を持って生きて行くことの大切さにも繋がるのではないかと思った。

まさに 「人生のマイスター制度」・・・

 

 


❤今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

 

今回ご紹介した記事は 人間学を学ぶ月刊誌「致知」からお届けしました。

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世界の山ちゃんを引き継いだのは「てばさ記」奥様だった

 

 

 

 

 

木鶏クラブハウス(2022/2/10)は致知(2022年2月号)より

「第一線で活躍する女性」で登場されたエスワイフード代表の山本久美さん

「主人が遺したものを引き継ぎ伝承する」 の記事を紹介しました。

 

山本さんはコショウ辛い手羽先で有名な名古屋発「世界の山ちゃん」(全国に60店舗 展開)を創業されたご主人が2016年に突然59歳の若さで亡くなった後 会社を継がれたそうです。

亡くなった時は3人の子供さん(一番下が小学校1年生)を抱えた専業主婦だった山本さんが如何にして代表になったか。そのマインドと素敵なストーリーに私の目は釘付けになりました。

インタビューの内容をご紹介します。

企業理念は「立派な変人たれ」

山本:

この「立派な変人たれ」という理念は主人がよく口にしていた言葉で「立派な人間になる」「明るく元気にちょっと変」ということ。

「立派な人間になる」とは人として立派になろうと努力すること自体が大事だとよく言っていました。

「明るく元気にちょっと変」には「ユニークで面白い」だけでなく「変化をする」という意味も含まれます。

主人も真面目で変な人でした。店舗が非常に忙しい多忙で社員同士がギスギスしていた時に行われた会議では7色のアフロの被り物をして大真面目に出席したと聞いています。

会社を継ぐ覚悟が決まった時

山本:

結婚してから専業主婦で3人子育てをしていましたが、2016年8月21日に突然 主人が大動脈解離で亡くなりました。

後継者の事で悩んでいる私の思いが定まったのは「てばさ記」という店舗通信がきっかけでした。

私は仕事にはほとんど関わっていませんでしたが結婚後に主人から、料理を待つお客様の気が紛れるように、店舗に貼り出す瓦版通信を作ってほしいと依頼されて、以後毎月1回「てばさ記」を休まず発行し続けていたんです。

葬儀などでバタバタしている間に次号の「てばさ記」の締め切りが近づいてきた時、心配して社員から「今回はお休みしませんか?」と言われて「私への配慮なら入りません」と返事をしました。その瞬間、主人への思いだけでなく、会社やお客様に対する熱い思いが自分の中にもあることに気付かされたのです。それで代表に就任する決意が固まりました。

トップダウンからボトムアップの組織へ

山本:

主人は人をとても大切にする優しい人でした。

汚い所の掃除など非田尾が嫌がる仕事を率先してやっていましたし、給料明細書も毎月必ず東京と名古屋に分かれている150名以上の全社員に手渡ししていました。この2つは私にも出来る事なので、代表になって以降実践しています。

一般企業に初めてしかもトップとして入った私は分からないことだらけだったので、分からないことは分からないと素直にさらけ出し、幹部だけでなく、一般社員の皆にも本当によく助けてもらいました。

社員達もそれまでのトップダウンの体制ではなく一人ひとりが「自分たちがやらねば」という自覚をもって行動してくれるようになりました。

会社や「山ちゃん」ブランドに対する愛情を持った社員が非常に多くて、社員一人ひとりの中に「主人が生きている」と感じる節がよくありました。

スポーツも経営も「努力に勝る天才なし」

山本:

私は小中高と様々なスポーツをしてきてすべての部活で主将を任せていただいた経験が仕事にものすごく活きています。

主人ともよく、チームスポーツと経営は似ているという話をしていました。

スポーツで言えば監督、レギュラー選手、控え選手、会社にとっては社長、幹部、社員と皆がそれぞれの役割を果たさなければいい結果は生まれません。

私は中学生時代、後に桜花学園高校バスケットボール部を67回の日本一に導いた名将・井上眞一先生の下でバスケをしていました。小学校の教員になりミニバスチームを立ち上げて監督をしていた時に、井上先生が私のチームの練習に来られたことがあり、子供達にこう声を掛けてくださいました。

「全員が自分の役割と皆の役割を理解して、100%その役割を果たし切ったら絶対に全国優勝が出来る」

 この言葉を聞いた子供達は目の色が変わって、試合に出られない子も「自分にはチームとしての大切な役割があるんだ」

と自覚し一つひとつのプレー、ボール拾いなどを一所懸命に取り組むようになりました。こうした教えのおかげで、監督をしていた5年間に3度の全国優勝に導いてあげることが出来ました。

家庭との両立について

やっぱり大変ですが、会社も子供たちも主人が遺してくれたものをきちんと立派に育てたいという気持ちは変わりません。私がかけてあげられる愛情は食事くらいしかないので、食のことだけは手を抜いてはいけないと思い、毎朝、3食分を作ってから出勤しています。

 

❤山本久美さんの座右の銘 : 努力に勝る天才なし

❤山本代表の記事は こちらから→ も見れます

 

❤この記事の中で私のこころが「いいね!!」ボタンを押した所

 ○お店の瓦版通信の名前が「てばさ記」すごくセンスがいいと思いました。

 ○企業理念「立派な変人たれ」 変人の意味が明るく元気にちょっと変というユーモ アと「変化をする」の変の意味もあるなんて奥が深いと思いましたし楽しい感じがしました。

 ○東京と名古屋にいる社員150人に毎月給料明細を手渡ししていたご主人もすごいけどそれを継いで実践している奥様もすごく偉いし、なかなか出来る事ではないと思いました。

 ○「全員が自分の役割と皆の役割を理解して、100%その役割を果たし切ったら絶対 に全国優勝が出来る」と言って実際にチームを全国優勝に導びかれた井上眞一先生のお話

 

今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

 

今回ご紹介した記事は 人間学を学ぶ月刊誌「致知」からお届けしました。

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https://www.chichi.co.jp/specials/mihon-sample/

紹介者情報: 待井恵理子(会員番号「20185305」

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お待ちしています。