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明珠掌にあり

禅語:明珠在掌(みょうじゅたなごごろにあり)

 

自分の幸せはすでにその手のひらにある

幸せは、本来は自分の心の中で見つけていくものである

日々の生活の中でコツコツ心を磨いて探して行きましょう

あなたにはあなたにしかない幸せがある

今日は禅語の明珠在掌(みょうじゅたなごごろにあり)を学びました。

 

朝のウォーキングの時 

いつも思っていることがあります。

今日も目が覚めた。(目が覚めない人もいる)

歩く足がある。振れる手がある。

朝のさわやかな空気を吸うことが出来る。

行き交う人に「お早うございます」

と挨拶することが出来る。

春の訪れを告げるウグイスの「ホーホケキョ」の声を聴く事が出来る。

朝のひんやりした風を感じる皮膚がある。

6方拝を唱えながら感謝出来る心がある。

家族がいる 仲間がいる。

仕事がある

自分の幸せはすでに自分の手の中にある。

その幸せを探して感謝して毎日生きていくことが大切ですよと教えていただいた。

さあ今日も、感謝ウォーキングにでかけよっと・・

 

 

 

 

 

密室の怪事件

 

 

 

 

 

 

猫が2階から飛び降りてきた

「ただいま-」誰もいないのは分かっていたけど

元気よく玄関の戸を開けて入ってきたときのことだった。

我が家は玄関を入るとすぐ右手に2階に上がる階段があるのだが
その2階から 何かが勢いよく降りてきて私の目の前を通り過ぎて行った

「ぎゃー!」
誰もいないという前提でいた私は気絶しそうなくらいびっくりした。

しかも家の中にいるはずもない最近我が家の周りに良く出没する 

大きな白い猫だった。

相手も相当驚いたらしく部屋のガラス窓から逃げようとして必死で飛び上がっている

窓越しに見ているのとは違い目の前で外に出ようとしている猫の大きいこと

猫や犬が本来苦手な私は「きゃー きゃー」言いながら 
大きなガラス窓の戸をやっとの思いで開けて

「こっちから 出てって!」と叫んだ!

やっと出口に気づいたその大きな白い猫は 脱兎のごとく飛び出して行った。

ドキドキハートを感じながらも次に私が思った事・・

「どこから入ったのだろう?」

そして家中の戸を確認した。

何とどの窓や戸もしっかり閉まっているではないか・・
「???」
密室の殺人事件というのは名探偵コナンでよくある話だが
まさに密室の野良猫侵入という怪事件が発生した!

そして おじいちゃんと主人と3人の夕食の時
今日の怪事件を話した・・・

そこで謎は解けたのだ・・・

最初は「そうか・・」と人ごとの様に聴いていたおじいちゃんだったが

次の瞬間 「あっ!」という表情の変化を私は見逃さなかった。

「おじいちゃん何か心当たりでも?」

いつもは頑固なおじいちゃんが 今日は素直に
「犯人はわしじゃ・・」と白状した

我が家は母屋とおじちゃんが住む離れを主人がDIYで松の廊下のような渡り廊下を作ってくれ、それが架け橋となっている。

そして何か用事があるときはその渡り廊下をおじいちゃんは杖をコツコツとつきながら母屋に来る。

今日は新聞を取りに母屋に来てその時に出入り口の戸を開けたままにしていたらしい。

2時間くらい経ってまた用事で母屋に来たときに戸が開けっぱなしになっている事に気づき閉めたという事だった。

その白い大きな猫はその間に家の中に入り そして戸を閉められて出るに出れなくなって家の中にいたんだと

名探偵コナンチームは結論づけた。

「それは すまんかったのう」今日はやけに素直だ

主人は続ける・・「今度は仲間を連れてくるんじゃないかなあ・・」
「それは絶対 いやー!」と叫ぶ私

「えりさん 悪かったね 今度はしっかり閉めるからなー」
「おじいちゃん頼みますね」

ちょっとしょげているおじいちゃんが なんだか可哀想になって

「でも 昼間おじいちゃんが 離れに居てくれると思うだけで 留守にしていても安心していられるんですよ」
と言うと

「そうかー じゃあお休みなー」と松の廊下をコツコツ音をさせながら おじいちゃんは離れに戻って行った。

後ろからついて行って部屋まで見送る時かなり背が丸くなってきた背中をさすって

「今日は少し背が伸びた感じですね」という私に

「えりさん ここでいいでね おやすみ・・」

今日も無事に終わって良かった
おじいちゃんのおかげで エピソード満載な毎日に夫婦の会話も増えた気がする。

 

 

 

私のOTマインドに火がついた

 

 

 

 

 

3人の生活のスタート

おじいちゃんが退院してきて,私たち夫婦と3人の生活が始まって2週間が経った。

だいぶ生活のリズムが出来てきたと思った頃 コロナワクチン接種の日がきた。
私はおじいちゃんを車に乗せて接種会場であるクリニックに行く事になった。

その道中のこと・・

脇道に入ろうとして私の車が通り過ぎるのを待っていた車に
私はどうぞお先にというようにパッシングで合図した。

 

それを知らないおじいちゃんは 前方からこちらに来る車に向かって
「早く行け!」と叫んだ。

(何をそんなに焦っているのだろう? 時間はたっぷり余裕を持って出かけてきたのに・・)

そして交差点で右折するために、流れが止まるのを待っていた時、
「車が多いな!」と怒った様に誰に言うともなく大声を発する。

(私の車は軽で小さいので 近寄ってくる車が怖く思えたのかな?)

その時 私はすべてを悟った。

これだ!

このおじいちゃんの言霊の悪さにやられたおばあちゃんは

そばに居ることを拒絶してしまったんだ。

 

おばあちゃんが行ってしまったいきさつは こちらから→

 

今までならお舅さんにもの申すなんて事はなかった私も
これが今から一緒に暮らす人かと思ったら 悲しくなった。

そしてその言霊の悪さがおじいちゃん自身にもいい影響があるはずはないと

とっさに
私「お父さん 今日はお父さんを乗せているから 私も安全運転で行きますよ。
  道路は譲り合いで 安全だから・・」と

父「そうか・・」 少し声のトーンが落ちてきた

そしてその瞬間に43年間OT(作業療法士)として働いてきた私のOTマインドに火がついた。
目標「おじいちゃんの言霊を良くする」

私の今まで培ってきた経験を総動員しておじいちゃんの言霊をよくして 

心も体も健康になってもらおう。

一番難解な事例は 一番身近にいた。

そして 無事にワクチン接種が終わり 帰り道
私「今日は歩きがしっかりしてきましたね。」

父「そうかな 自分じゃ分からんけど」

私「この前はこの坂で 息が切れてたですよね」

父「そういえば そうかな・・」
私「昨日少し散歩に行ったからじゃないですか?」

父「そんなもんで変わるのか?。」

私「お父さんそんなもんで変わるんですよ。私もずっとそういう仕事してるから
  分かるけど ちょっとしたことで変わるらしいですよ」

父「そうか・・」

いつもは混み合うことで有名なそのクリニックだが 今日は誠にスムースに終わり

帰りの車の中 おじいちゃんは楽しみにしていた卓球の試合がまだ見れそう
な時間に家に着いたことに満足して 珍しくこう言った。

父「今日は調子よく来れたな・・」と  (おっ 前向きな言葉がでたぞ!) 

すかさず 私「お父さんがいつも頑張っているから 神様がそうしてくれたんじゃないですか・」と言うと 

何と何と そんな表情今まで見たことのないほどの笑顔と声で

父「えりさんも嬉しい事行ってくれるじゃないか!」

もしかしたら今までおじいちゃんてあまり人から褒めてもらったことが

ないのかなと思った。

よしこの褒め褒め作戦で行ってみよう!

かくして私のおじいちゃんリハビリ大作戦は いよいよスタートした。

 

おばあちゃんが妹夫婦の家に転居しました

夫の両親と同居する事37年

80代後半の二人は結婚してもう半世紀以上一緒に生活していた事になる。

それが・・それが・・

ここに来て  もう人生の残りの大切な時間だというのに
おばあちゃんが夫の妹夫婦のところに行ってしまった。

おじいちゃんが入院している間に・・

おじいちゃんは言葉の暴力でずっとおばあちゃんを苦しめていたらしい
それが入院したことをきっかけに今までの積もり積もった感情が出てきて 恐怖にまでなり
帰って来るおじいちゃんを受け入れることが出来なくなってしまっていた。
現実を受け入れられなくて 少し認知症の様になってしまっていた。

入院先のおじいちゃんから用事があってかかってくる携帯電話にも出られないくらい・・

そしてその話を聞いた妹夫婦が「二人が一緒に居ることは良くないから家に
連れて行きます」となった。

入院中に一応おばあちゃんの体調不良を理由に転居する事を説明し
「仕方がない」と言ったおじいちゃんだったが
退院してきてそのおばちゃんの居ない空虚な感じに悲鳴を上げている。

そこに居るのはあれほどおばあちゃんを恐怖に落とし入れた暴君とはまるで別人のような
「おばあさんはいつ帰って来るんだ?」を連発する弱りはてた見るも無惨なおじいちゃんの姿だった。

それを見て私は「だったら何で優しい言葉をかけてあげなかったの?」・・

と心の中で責めている・・

優しい夫は「一番かわいそうなのはおじいさんなのだから それは言ってはいけないよ」と
それで言いたい気持ちをぐっと我慢して このおじいちゃんと夫との3人の生活がスタートした。

私はそれを熟熟年別居と名付けた。

こんな小説の様な物語が目の前で繰り広げられる事の意味は何だろう。

おじいちゃんはどうしてそういうことになったのか想像もつかないみたい。

今から私が出来る事は何だろう?

❤夫とのコミュニケーションを今まで以上にとって心を通わせる事。
(今まで分かってくれているだろうと思って言わなかったことが分かっていなかったという事が多かった様な気がする。)

❤落ち込んで居るおじいちゃんが少しでも心が明るくなるように話しかける こと。

❤美味しいご飯を作ること。

おばあちゃんとの37年間 いっぱいお世話になったけど 私も悔いはない。
貴重な経験をさせていただいた事に感謝の気持ちでいっぱいです。

おじいちゃんのことは私たちに任せて下さいね。

 

 

 

心の健康

 

 

心トレのススメ

 

心も体と同じようにトレーニング ストレッチ 休息が大事だと思います。
トレーニングはどうするのだろう?

 

毎日の些細なことにも感動する感受性を磨く事

 

 

「強制収容所から奇跡の生還を果たした「夜と霧」の著者フランクル先生は
強制労働中に水たまりに映った冬の枯れ枝を見て レンブラントの絵みたいだなと思ったそうです
ましていわんや 大寒の空に凜として光を放つ満月や冬の今まさに朝日が昇ろうとしている深いオレンジ色の東の空を眺めたら何と思うのでしょう?
このフランクル先生の感受性の深さを知ったとき今まで当たり前の様に見えていた風景が神々しく感じられてきました。
フランクル先生はそういう些細な事に感動する人が生き延びたと書いています。

 

そのフランクル先生の生き方に触れ共感を覚えた五木寛之氏が語っています。
人生というものは悲しみや辛いこと 不条理や納得のいかない事に満ちていると思います。
その中で思いがけなく夜空に輝く星や地に咲く花の美しさ、そして思いがけない人の優しさに触れる瞬間を持てるというのは
本当に幸せなこと。そこで得たささやかな幸せを胸に愛を持って人に接する事ができたらいいですね。

 

 

 

毎日一つ面白いことを見つけ笑い合うこと

 

フランクル先生の話の続きです。
先生は収容所の中で仲間に「一日に一つ何か面白い話を考えてお互いに笑い合おうじゃないか」と提案して実践していたそうです。
冗談などとても考えられないような悲惨な状況下で魂を振り絞るようにして滑稽な話を考え続けたといいます。
このエピソードに大変感動した五木寛之氏は講演でよくこの話を紹介しているそうです。
五木氏「ギリギリの局面でもユーモアを忘れないような心のゆとりがとても大切だということです。フランクル先生がそういう精神の持ち主だったことも奇跡の生還を
果たす上で大事な役割を果たしたのではないかと思いますね」

 

私がこのお話を聞いたときもう一つ大切な点があると思いました。
それは 「仲間」「笑い合う」という 自分以外の人の存在です。
人は一人では生きていけません。それは物質的にも そうして精神的にも・・
笑い合う仲間がいるから面白い話を見つけようとする。・・

 

だから家族・友達・公園で会う人・職場の同僚・・ 自分にとってかけがえのない人達 
大切にしたいと思っています。