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木鶏クラブハウス:津波に負けなかった伝統のレシピ(ヤマ二醤油)

致知(2022年3月号) 致知随想より   新沼茂幸(ヤマニ醤油4代目)

「一寸千貫」(いっすん せんがん)

11年前の3月11日 岩手県陸前高田市で先祖代々続くヤマニ醤油の4代目として31年目を迎えた新沼氏は東日本大震災に襲われました。

間一髪津波から逃げれたものの 振り返ると見慣れた町の姿はもうなく、頑丈と思っていた醤油蔵が呆気なく押し流されていくのが見えたそうです。

新沼氏:

危険を顧みず一人会社跡に向かったのは。醤油屋を続ける気があるのか、己の本心を問うためです。ブロックで建てた事務所がかろうじて形をとどめており、余震が続く中慎重に室内に入り込みました。

無残な光景でしたが、ケースで保管していた先祖伝来の醤油のレシピが濡れずに残っていたのです。ああ、よかった!自分の魂の声が聞こえた瞬間でした。

創業以来、ヤマニ醤油は商品を問屋などには一切卸さず「御用聞き」を貫いてきました。ところが1980年赤字が1千万円と倒産寸前、コンサルタントからは「御用聞きはやめましょう」と進言されるありさまでした。

そんな折り、相田みつおさんのひとつの言葉に出会いました。

「一寸千貫」 一寸角(3㎝)の細い柱でも、真っすぐならば千貫(4トン)の重みにも耐えられる。元々は大工さんの言葉で、つまり生きる姿勢が真っ直ぐならば、どんな重みにも耐えられると、思えば、家業を継ごうと決めた理由は自分を育ててくれた家族と地域の味を一守りたいという使命感でした。だから何があっても実直にこの初心を貫こう。そう決めたのです。

そして、社員8名、年商1億2千万円の会社にする事ができました。

そこに襲ったのが東日本大震災です。押し流される町を見て、どれほど頑強でも形あるものは滅びる。一番強いのは目に見えないものだと気づいたのです。

その後新沼社長は「第二創業」に向けて始動したそうです。

新沼氏:

家族や地域の味を守るという初心を忘れず、企業文化として「御用聞き」を前例のない企業体に残せたことが奇跡の復活に繋がったと思います。

事業の形は変わっても「一寸千貫」生きる姿勢さえぶれなければ乗り越えていける。

これからも変わらずヤマニらしさを追求し、後生に遺していく覚悟です。

 


❤私の心の「いいね!」ボタンが押されたところ

 先祖代々続く 醤油のレシピが 東北大震災の中で残っていた奇跡に「ヤマニ醤油」を創業されたご先祖様の後生に繋いでいって欲しいという遺志を感じました。

そしてそれを心で感じ 自分の出来る最善を尽くして「ヤマニ醤油」の味を受け継いでいこうとする4代目社長の心意気。相田みつおさんの「一寸千貫」の一言に心を支えられて真っ直ぐに「御用聞き」に徹して味を守ろうとした社長の気持ちに胸を打たれました。

明日が11年前に東日本大震災のあった日という事もあり、この記事を取り上げさせていただきました。


❤clubhouse:のお知らせ

  木鶏クラブハウス:毎週木曜日夜8時~

  人間学を学ぶ月刊誌「致知」から心に残った記事を紹介させていただいています。

 ・お気軽に遊びに来ていただけると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

世界の山ちゃんを引き継いだのは「てばさ記」奥様だった

 

 

 

 

 

木鶏クラブハウス(2022/2/10)は致知(2022年2月号)より

「第一線で活躍する女性」で登場されたエスワイフード代表の山本久美さん

「主人が遺したものを引き継ぎ伝承する」 の記事を紹介しました。

 

山本さんはコショウ辛い手羽先で有名な名古屋発「世界の山ちゃん」(全国に60店舗 展開)を創業されたご主人が2016年に突然59歳の若さで亡くなった後 会社を継がれたそうです。

亡くなった時は3人の子供さん(一番下が小学校1年生)を抱えた専業主婦だった山本さんが如何にして代表になったか。そのマインドと素敵なストーリーに私の目は釘付けになりました。

インタビューの内容をご紹介します。

企業理念は「立派な変人たれ」

山本:

この「立派な変人たれ」という理念は主人がよく口にしていた言葉で「立派な人間になる」「明るく元気にちょっと変」ということ。

「立派な人間になる」とは人として立派になろうと努力すること自体が大事だとよく言っていました。

「明るく元気にちょっと変」には「ユニークで面白い」だけでなく「変化をする」という意味も含まれます。

主人も真面目で変な人でした。店舗が非常に忙しい多忙で社員同士がギスギスしていた時に行われた会議では7色のアフロの被り物をして大真面目に出席したと聞いています。

会社を継ぐ覚悟が決まった時

山本:

結婚してから専業主婦で3人子育てをしていましたが、2016年8月21日に突然 主人が大動脈解離で亡くなりました。

後継者の事で悩んでいる私の思いが定まったのは「てばさ記」という店舗通信がきっかけでした。

私は仕事にはほとんど関わっていませんでしたが結婚後に主人から、料理を待つお客様の気が紛れるように、店舗に貼り出す瓦版通信を作ってほしいと依頼されて、以後毎月1回「てばさ記」を休まず発行し続けていたんです。

葬儀などでバタバタしている間に次号の「てばさ記」の締め切りが近づいてきた時、心配して社員から「今回はお休みしませんか?」と言われて「私への配慮なら入りません」と返事をしました。その瞬間、主人への思いだけでなく、会社やお客様に対する熱い思いが自分の中にもあることに気付かされたのです。それで代表に就任する決意が固まりました。

トップダウンからボトムアップの組織へ

山本:

主人は人をとても大切にする優しい人でした。

汚い所の掃除など非田尾が嫌がる仕事を率先してやっていましたし、給料明細書も毎月必ず東京と名古屋に分かれている150名以上の全社員に手渡ししていました。この2つは私にも出来る事なので、代表になって以降実践しています。

一般企業に初めてしかもトップとして入った私は分からないことだらけだったので、分からないことは分からないと素直にさらけ出し、幹部だけでなく、一般社員の皆にも本当によく助けてもらいました。

社員達もそれまでのトップダウンの体制ではなく一人ひとりが「自分たちがやらねば」という自覚をもって行動してくれるようになりました。

会社や「山ちゃん」ブランドに対する愛情を持った社員が非常に多くて、社員一人ひとりの中に「主人が生きている」と感じる節がよくありました。

スポーツも経営も「努力に勝る天才なし」

山本:

私は小中高と様々なスポーツをしてきてすべての部活で主将を任せていただいた経験が仕事にものすごく活きています。

主人ともよく、チームスポーツと経営は似ているという話をしていました。

スポーツで言えば監督、レギュラー選手、控え選手、会社にとっては社長、幹部、社員と皆がそれぞれの役割を果たさなければいい結果は生まれません。

私は中学生時代、後に桜花学園高校バスケットボール部を67回の日本一に導いた名将・井上眞一先生の下でバスケをしていました。小学校の教員になりミニバスチームを立ち上げて監督をしていた時に、井上先生が私のチームの練習に来られたことがあり、子供達にこう声を掛けてくださいました。

「全員が自分の役割と皆の役割を理解して、100%その役割を果たし切ったら絶対に全国優勝が出来る」

 この言葉を聞いた子供達は目の色が変わって、試合に出られない子も「自分にはチームとしての大切な役割があるんだ」

と自覚し一つひとつのプレー、ボール拾いなどを一所懸命に取り組むようになりました。こうした教えのおかげで、監督をしていた5年間に3度の全国優勝に導いてあげることが出来ました。

家庭との両立について

やっぱり大変ですが、会社も子供たちも主人が遺してくれたものをきちんと立派に育てたいという気持ちは変わりません。私がかけてあげられる愛情は食事くらいしかないので、食のことだけは手を抜いてはいけないと思い、毎朝、3食分を作ってから出勤しています。

 

❤山本久美さんの座右の銘 : 努力に勝る天才なし

❤山本代表の記事は こちらから→ も見れます

 

❤この記事の中で私のこころが「いいね!!」ボタンを押した所

 ○お店の瓦版通信の名前が「てばさ記」すごくセンスがいいと思いました。

 ○企業理念「立派な変人たれ」 変人の意味が明るく元気にちょっと変というユーモ アと「変化をする」の変の意味もあるなんて奥が深いと思いましたし楽しい感じがしました。

 ○東京と名古屋にいる社員150人に毎月給料明細を手渡ししていたご主人もすごいけどそれを継いで実践している奥様もすごく偉いし、なかなか出来る事ではないと思いました。

 ○「全員が自分の役割と皆の役割を理解して、100%その役割を果たし切ったら絶対 に全国優勝が出来る」と言って実際にチームを全国優勝に導びかれた井上眞一先生のお話

 

今日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

 

今回ご紹介した記事は 人間学を学ぶ月刊誌「致知」からお届けしました。

致知に興味のあるに方は

見本誌(バックナンバー)を致知出版社からプレゼントしていただけます。

https://www.chichi.co.jp/specials/mihon-sample/

紹介者情報: 待井恵理子(会員番号「20185305」

     メールアドレス supereriko999@gmail.com

 

 

♡clubhouseのご案内

 木鶏クラブハウス:毎週木曜日夜8時~ 

 

致知に掲載されている記事をご紹介し 

皆さんで感じたことなどシェアしています。

興味のある方は是非遊びに来て下さい。

お待ちしています。

 

 

心のチューニングの話に共感した方からメッセージが届きました

 

 

 

 

 

 

心のチューニング

先週の木鶏(もっけい)クラブハウス(2022/1/27)では武田双雲氏のお話をお届けしました

その中で 私が一番好きな箇所としてお伝えした箇所が双雲氏がいつも心懸けている心のチューニングの話しでした。

双雲氏は書には自分がそのまま出る。だからその時繕ってもダメ。日頃から心を整えておく努力、習慣が大切だと話されています。

「すべてに感謝」書道家:武田双雲|木鶏クラブハウスより

そして今日 そのクラブハウスに参加されていた方から 

メッセージが届いたのです。

今度のクラブハウスでは 皆であの「心のチューニング」の話の談義をしませんか・・

先週の話に共感してくれた方がいる。もう少し皆でシェアしたいと思って居る方がいる。と思うだけで心が温かくなりました。クラブハウスの魅力を感じた瞬間でした。

心の共感・声だけのお付き合いでもその方の気持ちが伝わってきます。まさに声は周波数だから・・より共鳴しやすいかもしれない・・

という事で今週(2022/2/3)の木鶏クラブハウスでは 心のチューニングという事について皆さんと楽しくシェアする会にしたいと思います。一緒にお話して下さる方大歓迎です。お待ちしています。

 

❤木鶏(もっけいクラブハウスのご案内

  毎週木曜日 夜8時~(30分)

 

 

 

 

 

 

 

「すべてに感謝」書道家:武田双雲|木鶏クラブハウスより

人間学を学ぶ月刊誌 「致知」(2022年2月号より)

 

今、
時の人、武田双雲氏の魅力に迫ります。

 

連載:20代をどう生きるか

2022年1月27日の木鶏クラブハウスでは 

大河ドラマ「天地人」の題字や

スーパーコンピューター「京」のロゴをはじめとする印象深い作品群、

国内外で展開する様々なパフォーマンスなど、

多彩な活動で注目を集め続ける書道家・武田双雲氏の記事をご紹介しました。

書のプロとして歩み始めた20代を振り返っていただき

そのエネルギッシュな活動を支える心術をいかにして養ってきたかを伺った内容でした。

 

自分の書に涙する女性を見て

 

双雲氏は23歳の時当時勤務していたNTTの女性社員に頼まれて筆をとり

その方のお名前を書いたとところ

「初めて自分の名前を好きになれた」と涙を流されたそうです。

書道ってすごいぞ・・と実感した瞬間でした。

 

双雲氏はその日のうちに会社を辞める決意をし 

「筆文字屋ドットコム」というサイトを立ち上げ、

名刺や表札などを筆書きするサービスを始めたそうです。

 

そしてオファー一つ一つに120%の力で答えているうちに

次第に噂が広まりマスコミの取材や講演・書籍執筆など

依頼が来るようになったとのことです。

 

双雲氏は書道教室を開いていたお母さんの元で

幼い頃から書の基礎を徹底的に仕込まれたました。

 

中高生の頃は勉強が好きではなく

先生とも友達ともそりが合わず

これをやり抜いたと自信を持って言い切れる物が何もない

モヤモヤした青春時代を送っていたそうです。

 

そんな自分の書が人から喜ばれ涙まで流してもらえた。

その感動が氏を書道家の道へ突き動かしたと語られています。

 

来る仕事は拒まない

 

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フランクル「夜と霧」が教えてくれた人間の光と闇 「木鶏クラブハウス」より

 

 

対談:五木寛之(作家)
永田勝太郎(国際全人医療研究所代表理事)

 

昨日(2022/1/20)の木鶏クラブハウスでは 
第二次世界大戦時、ナチスの強制収容所から
奇跡の生還を果たしたフランクル先生について語り合われた
お二人の対談をご紹介させていただきました。

極限の収容所体験を綴った名著「夜と霧」は
今なお世界中の人に読まれ続けています。

同書に大きな衝撃を受け、著書や講演を通して幾度となく言及してきた五木寛之氏と
フランクルに師事しその教えを自身の医療活動に活かしてきた永田勝太郎氏が
困難な人生を生き抜く上で大事なヒントについて語り合われた対談です。

永田氏は現在73歳 51歳の時に医大勤務中に薬の副作用で寝たきりになられました。
絶望の中フランクル先生の妻エリーさんに手紙を出されます。
「僕はもうじき先生(フランクル)のもとに行きます。さようなら」

すぐにエリーさんから返事が来ました。
「私は医者ではないから、あなたに何もしてあげることができない。
でも生前、夫が私にいつも言っていた言葉を贈りましょう。

『人間誰しも心の中にアウシュビッツ(苦悩)を持っている。
もしあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。
あなたを待っている誰かや何かがある限り、
あなたは生き延びることが出来るし自己表現出来る」

そして永田先生がその手紙を何度も読み返しているうちに
奇跡が起きました。

病室に次々に弟子にしてほしいという医師や学生が見舞いに来てくれ
「俺の人生まだまだ捨てたものじゃないな ならば生きていこう」と
思えるようになり、それからリハビリに打ち込み快復されたという事です。
永田先生は薬の副作用で病状が悪化したことから
医学教育の刷新を決意し統合医療の道を開かれたそうです。

永田氏は語ります。

フランクル先生は収容所の中で
「夜と霧」のもとになる原稿をずっと書き続けます。
最初に書いた草稿は全部取り上げられて
燃やされてしまいましたから
看守に見つからないように
小さな鉛筆をポケットに忍ばせて
紙くずに速記で書いては
毎晩月明かりにかざして考察を繰り返した。

 

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体の健康

 

筋トレのススメ

 

人生100年時代 シニアライフの健康を願うのは 全ての人の思いではないでしょうか?
神様からいただいたこの精巧なボディーをどうやったら維持して行けるのだろう?

 

長年リハビリの仕事をしていて思うのは 筋肉は何もしなければすぐに衰えてしまうということ。
骨折してギプスで固定されると関節が硬くなるのはもちろんのこと 動かさなかった筋肉がこんなに落ちてしまうのかと思うほど
動かさないことに体が順応していきます。

 

毎日の生活の中で自然に動いて使っているだけでも違いますが、使っていない筋肉は確実に加齢と共に衰えていきます。
私は患者様から94歳になっても筋肉はトレーニングすればついてくるものだという事を教えてもらいました。
90歳のインストラクターの女性の方にも驚かされました。
筋肉はトレーニングでいくつになっても維持・増強出来るという事を人生の先輩達が教えてくれています。

 

自重トレーニングなど簡単にできる事はたくさんありますが、問題は如何に継続していくかだと思います。
このコーナーでは継続していくヒントなど発信して行きたいと思います。